大鳥大社/大阪府堺市
「平氏にあらずんば」の発言
平清盛といえば「平氏にあらずんば人にあらず」という大それた言葉が印象的な平安時代末期の武将。なんと傲慢な言いざまかと思いたくなりますよね。一時の栄華を築いた清盛とは、いったいどんな人物でどのような人生を送ったのでしょうか。
最初から種明かしをしてしまいますが、実はこの「平氏にあらずんば人にあらず」、清盛が言ったセリフではないのです。原典である平家物語には「此一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし」と書かれていますが、発言者は彼の妻「平時子(たいらのときこ)」の弟である「平時忠(たいらのときただ)」。
なんだか損なイメージを押しつけられてしまった清盛ですが、彼の生涯は波乱にあふれ、とてもドラマティック。平家物語をはじめ多くの歴史書に活躍が描かれています。
しかし、清盛が詠んだ和歌はわずかふたつしか残っていません。
卵の我が身
平治元年 (1159年)に熊野参詣に向かった清盛・重盛(しげもり)親子ですが、京の都で反乱が起きたこと(平治の乱)を道中で報告されます。
急遽引き返す途中で神社に立ち寄り、その際に詠んだ歌がこれなのです。
和歌の意味は「今はまだ卵の我が身ですが、かえったら(卵から孵ったらor京の都へ帰ったら)大いに飛びまわりたいので、私を立派にお育てください、大鳥の神よ」というもの。「平氏にあらずんば」の文言と比べると、ずいぶん控え目で謙遜した歌だと思いませんか?
和歌を詠んだ神社は、大阪府堺市にある「大鳥大社」。こちらは古くから文武の神として崇められていましたので、反乱のために戻る清盛にとっては最良の祈りの場となったわけです。

- 清盛歌碑
- 明治時代の著名な文人画家「富岡鉄斎」の筆によるもの。鉄斎は明治維新後に大鳥大社の宮司を勤めていました
大鳥大社の参拝を済ませて京に戻った清盛は、源義朝により閉じ込められていた後白河上皇と二条天皇を助け出し、一気に義朝軍を打ち破ります。義朝は殺害、その子頼朝は伊豆へ流され、義経は京の鞍馬寺へ預けられました。
大鳥の神様の宿願は叶ったのです。そして清盛は更に大いなる勢力をつけていきます。
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- 住所 大阪府堺市西区鳳北町1丁1-2
- 電話 072-262-0040
- 開門時間 拝観自由
- 拝観料 無料
- 交通 JR阪和線鳳駅 徒歩5分

- やまつ辻田
- 堺市の西高野街道沿いで明治35年の創業以来、国内産の鷹の爪を守り抜く和風香辛料専門店。なかでも樹齢百年を超える実生柚子の皮を使用した「名代柚七味」はユズの香りがいちだんと爽やか。袋の裏面がハガキになっていて80円切手を貼ってそのまま送れてしまうのも愉しい。
波乱に満ちた人生を送った清盛。その生涯とその足どりをじっくりと見ていきましょう。















