暴風雨もなんのその

尾長天満宮/広島県広島市

青年期の清盛

元服後、清盛は20歳で肥後守に任ぜられます。21歳になると高階基章(たかしなのもとあき)の娘との間に子、重盛(しげもり)が、22歳で基盛(もともり)が誕生。28歳で正室に時子(ときこ)を迎え、翌年安芸守に就任し、30歳のときに宗盛(むねもり)が生まれます。ちょうどこのころ祇園闘乱事件が発生しました。

また清盛36歳の仁平3年(1153年)1月、父忠盛が亡くなり、清盛は平氏一門の棟梁となりました。

平氏系図

清盛、広島へ

久寿元年(1155年)37歳のころ、安芸守である清盛は広島に赴きます。

広島の町並み

広島駅から北へわずか500mほどの近距離に二葉山という小高い山があります。移動中の清盛がちょうど二葉山にさしかかかったときに、豪雨と激しい雷に遭遇。猛烈な雷雨で絶体絶命に追い込まれます。
そこで加護を菅原道真に祈ったところ、なんとも不思議にも命からがらではありましたが助かったそうです。清盛は道真の加護のおかげと感謝、この付近を「菅大臣の峰」と命名し、社を建設しました。

さて、なぜ道真の加護なのかというと、この二葉山にはちょっとしたエピソードがあります。
延喜元年(901年)菅原道真は大宰府に左遷させられます。当時は海岸線がもっと山側に入り組んでおり、二葉山の麓に海岸線がありました。大宰府までの航海の途中で二葉山の麓に船を停泊させ、山に登って休息をとったそうです。たったそれだけのことですが、道真を信奉する村人が祠をつくり、奉ったのだとか。そのゆかりによって清盛は道真に加護を祈ったのでしょう。

村人の祠を清盛が再興し、祠は江戸時代には現在の場所へ移転し「尾長天神宮」と称されます。明治以後は「天満宮」になり、大正時代に豪雨で倒壊したものの、再建されました。

  • 尾長天満宮
  • 尾長天満宮
  • 昭和20年(1945年)8月6日原爆投下により爆心地からわずか2.6kmの位置で被爆。社殿は爆風により倒壊しましたが焼失は免れました



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  • 尾長天満宮
  • 住所 広島県広島市東区山根町33-16
  • 電話 082-262-2679
  • 開門時間 境内自由
  • 拝観料 無料
  • 交通 JR山陽本線広島駅新幹線口 徒歩15分

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