清盛、後白河法皇を監禁!

城南宮/京都府京都市

盛子の権勢

清盛の娘、盛子(もりこ)は摂関家の摂政、近衛基実(このえもとざね)に長寛2年(1164年)嫁入りしました。五摂家として後年知られることとなる近衛家は基実の代から始まります。嫁入り当時、盛子はまだ9歳。基実は22歳でしたが、儚いものでわずか2年で基実は死んでしまいます

基実の後継ぎには藤原忠隆(ふじわらのただたか)の娘との間にできた基通(もとみち)がいましたがわずか7歳と頼りにできないため、摂政には基実の弟である松殿基房(まつどのもとふさ)が就任します。
しかし、摂関家が持つ膨大な領地は、盛子が基通の養母であることを盾に盛子が引き継いだのです。盛子、11歳で遺産ウハウハです。面白くないのが基房。ここから近衛家と松殿家の関係がおかしくなっていきます。

おまけに仁安2年(1167年)、盛子は憲仁親王(のりひと・翌年即位して高倉天皇に)の准母(じゅんぼ)となります。准母とはいわば母親代わりにこと。皇太子の母代わりなのだからと従三位に出世し、これでもう押しも押されぬ立派な上流貴族です。

順風満帆な日々。これがこれからも続くか…と思いきや、治承3年(1179年)盛子は病に倒れ死んでしまいます。偶然なのかどうなのか、夫であった基実と同い年24歳での死でした。

系図

後白河法皇の暴走

盛子が死去するとその莫大な財産はどこへ? 普通に考えれば子供の基通か母代わりを務めていた関係で高倉天皇へ相続されるはず。しかし、摂関家の氏長者は松殿基房です。基房は自分こそ相続できると主張します。なるほどそれも一理あるかもしれません。
とはいえ近衛家、ひいては近衛家と近しい平家は当然反対。

困った基房はこともあろうに後白河法皇に相談を持ちかけます。はっちゃけた法皇はなんと盛子の領地を没収
息子の高倉天皇が相続できるなら、高倉天皇の親であるオレ様がもらってもおかしくないよね、みたいな論理でしょうか。

悪いことは続くものです。鹿ヶ谷の陰謀以降、政界から引き下がっていた重盛までも病死します。すると法皇、重盛の領地だった加賀国を没収。院の近臣に加賀守を任せてしまいます。

さらに松殿基房の8歳の子、師家(もろいえ)が20歳の基通を飛び越して権中納言に出世。基通の妻は清盛の娘、完子(さだこ、かんし)だったこともあり、娘婿をないがしろにしやがって!と清盛激怒します。

治承三年の政変、勃発

後白河法皇の横暴に我慢できなくなった清盛は兵を連れて福原から京の都へ入り、クーデターを起こしてしまいました。(治承三年の政変)

基房と師家をはじめ多数が官職を解かれ、逆に基通は従二位に出世、関白、内大臣、氏長者と全権を掌握します。もちろんこんなことを勝手にできるわけではなく、高倉天皇の決定によりますが、清盛の意のままに天皇を掌握していたからこそできたこと。

  • 高倉天皇
  • 高倉天皇
  • 二条天皇の死後に生後7カ月で即位した六条天皇を3歳で退位させた後白河法皇が擁立。高倉天皇の施政下でも法皇はもちろん院政に精を出します

清盛の強硬姿勢にびっくりした後白河法皇は信西の息子である浄憲(じょうけん、静賢)を清盛のもとへ派遣し「もうこんなことしません、許して」と詫びを入れますが、清盛ガン無視

基房は配流、師長も追放し、他の後白河法皇の近臣もことごとく処罰を受けました。おまけに今まで17カ国だった平家の領地は倍増の32カ国にとやりたい放題。法皇の第三皇子、以仁王(もちひとおう)も所領を没収されてしまいます。

ついには清盛は後白河法皇を鳥羽殿に幽閉してしまいます。鳥羽殿は武士が警備をし、ごく一部の者以外の立ち入りが完全に禁じられました。

  • 鳥羽殿跡
  • 鳥羽殿跡
  • 鳥羽離宮、城南離宮とも呼ばれ、平安京の南にあった広大な院御所で、当時は貴族たちの別邸も多く副都心と別荘地を兼ねたような場所でした。南北朝時代の戦火で、数多くの建物が被災したため荒廃してしまいます

鳥羽殿の敷地は180万平方メートルもあったとされ、今では一部が「鳥羽離宮跡公園」になっています。公園内には旧江戸幕府軍と薩長軍(新政府軍)の騒乱のようすを伝える「鳥羽伏見戦跡碑」が建っています。

鳥羽離宮跡公園

また鳥羽殿にあった城南宮(じょうなんぐう)は場所柄、京都御所の裏鬼門を守る神だったので貴族の方違(かたたがえ)の宿としても使われました。以降、方除けや厄除けの神として信仰を集めています。

城南宮

クーデターはこれで完了しましたが、たとえ後白河法皇が先に挑発したにせよ、法皇を幽閉するという行為は平家を快く思わない者たちから多くの反感を買います。そして反感が爆発するまでの時間は、それほど長くはありませんでした。

画像引用:京都市伏見区様(http://www.city.kyoto.lg.jp/fushimi/)



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  • 城南宮
  • 住所 京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
  • 電話 075-623-0846
  • 開門時間 9時~16時受付
  • 拝観料 境内自由、神苑拝観大人600円、小中学生400円
  • 交通 京都市営地下鉄・近鉄京都線竹田駅6番出口 徒歩15分もしくは京都市バス5分 城南宮東口下車徒歩3分


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  • 玉乃光の清酒
  • 延宝元年(1673年)初代中屋六左衛門が和歌山で造り酒屋を創業したことにはじまる「玉乃光」。戦後、清酒の聖地である京都伏見に移り、以降純米酒の製造に邁進します。販売している清酒はどれも純米。贅沢な味わいと芳醇な香り、どれをとっても清酒の最高峰です。


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