保元の乱の舞台になった神社

高松神明神社/京都府京都市

朝廷内の争い

保元の乱はなぜ起こったのでしょうか。そのあたりから見ていきましょう。永治元年(1141年)まだ22歳の崇徳天皇を鳥羽上皇(翌年法皇になります)が退位させてしまいます。院政をするには成人した天皇は扱いにくいからです。そしてわずか2歳の近衛天皇が即位します。

ところが久寿2年(1155年)近衛天皇はなんと16歳の若さで崩御してしまったのです。近衛天皇には子がいないので、次の天皇は崇徳上皇の子の重仁(しげひと)親王か、それとも守仁(もりひと)親王か、と騒がれました。
しかしよく考えてみれば守仁親王の父が未だ皇位につかず、しっかりご健在だったのですね。それなら守仁親王の父が即位するべきだとなったため、即位して後白河天皇となります。

朝廷系図

おもしろくないのは崇徳上皇です。自らは若くして退位させられ、息子の即位の順番が来たと思ったら、後白河天皇に横取りされた形になったのですから。このままだと次の皇位も後白河天皇の子、守仁親王になり、息子の重仁親王は埋没してしまう… 。
崇徳上皇の不満は溜まる一方です。

加えて摂関家までもが

ややこしいことに、朝廷内だけでなく貴族摂関家でも対立が発生します。
関白藤原忠通(ふじわらのただみち)はなかなか後継ぎに恵まれません。天治2年(1125年)に23歳年下の異母弟、頼長(よりなが)を一度は養子に迎えたほどでした。しかし40歳を過ぎて次々と男子に恵まれるようになり、状況は一変。忠通は実子に摂関家を相続させるために、頼長との養子縁組を破棄してしまうのです。

摂関家系図

そこからふたりは対立するばかり。頼長が養女の多子(まさるこ)を入内させ皇后に仕立てたのに対抗し、忠通も養女呈子(しめこ)を入内させて中宮に冊立させたのです。さすがにこれは頼長と父の忠実(ただざね)から怒りを買います。
結局、忠実は忠通を絶縁し、氏長者の地位を頼長に移した上で、「内覧」にしてしまいました。関白の忠通がいるのに別に内覧もいるという異常事態に突入したのです。
※内覧…天皇に奉る文書や、天皇が裁可する文書など一切を先に見ること、またはその令外官の役職。

保元の乱の勃発

前置きが長くなりました。崇徳上皇は頼長と結託し、後白河天皇は忠通と結びつきます。両陣営とも、有力な武士を味方に付けるべく奔走しました。

保元の乱勢力図

結局、平氏や源氏もそれぞれ味方するところが分かれてしまいます。清盛は継母の池禅尼(いけのぜんに)が崇徳上皇の乳母だった立場ながらも、崇徳方の敗北を予測した池禅尼の意見に従い、後白河天皇側につきました。 さらに後白河天皇方には信西(しんぜい)という学者が参謀としてついています。

保元元年(1156年)鳥羽法皇が崩御すると事態は急展開します。「上皇左府(=頼長)同心して軍を発し、国家を傾け奉らんと欲す」とのうわさが流れ、後白河天皇軍が東三条殿(頼長の邸宅)を占拠。
二日後、宇治に滞在していた頼長は上洛して「白河北殿」に入ります。崇徳上皇側の武士も集結。崇徳上皇だけは雲隠れしてしまいますが。

後白河天皇の本拠地となり、清盛や源義朝らの軍勢が参集したのが「高松殿(たかまつでん)」です。そこから天皇軍は上皇軍の根城である「白河北殿」に攻め入ります。

  • 後白河天皇
  • 後白河天皇
  • 後白河天皇は高松殿で即位。以降保元二年(1157年)まで御所となった高松殿は「高松内裏」とも称されました

天皇軍は夜襲をかけ、白河北殿の周囲に火を放ち、戦闘開始からわずか8時間ほどで勝利をおさめました。頼長は合戦で首に矢が刺さり後日死亡、崇徳上皇は讃岐に配流、重仁親王は出家することを条件に不問、忠実は洛北知足院に幽閉、為義、忠正は死刑、為朝も伊豆大島に配流となりました。
810年の「薬子の変」を最後に公的には行われていなかった死刑が復活したのは信西の裁断によるものです。

  • 白河北殿址
  • 白河北殿址
  • 後白河天皇軍の攻撃で焼失した白河北殿は現在、京都大学熊野寮の敷地になっています

松原殿は今どうなっている?

この乱の恩賞により清盛は播磨守に任命されます。また、後白河天皇の側近である信西が今後の政治の主導権を握ることになり、朝廷内に新たな対立を巻き起こしていくのです。

高松神明神社

高松殿はその後、平治の乱で焼失し、鎌倉時代の後期には廃墟となりましたが、邸内にあった鎮守社高松明神のみは存続したようです。
天正8年(1590年)には豊臣秀吉の都市改造のため神社境内は半分に縮小。おまけに元治元年(1864年)「蛤御門の変」をはじめとする火災が続き、ますます敷地が狭くなってしまいました。
今は都心の片隅でひっそりと佇んでいます。

高松神明神社


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  • 高松神明神社
  • 住所 京都府京都市中京区姉小路釜座東入津軽町790
  • 電話 075-231-8386
  • 開門時間 9時~18時
  • 拝観料 無料
  • 交通 京都市営地下鉄烏丸線烏丸御池駅 徒歩5分


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