後白河上皇へプレゼント攻勢

三十三間堂/京都府京都市

権力の全盛期を迎える

その後、清盛は着々と出世していきます。妻の時子が二条天皇の乳母だったこともあり、天皇の乳父として勢力を拡大。応保元年(1161年)清盛44歳の1月、検非違使別当に就任したと思えば、9月には中納言に。また後白河上皇の院庁の別当にもなっています。
清盛は二条天皇と後白河上皇の双方と上手く付き合う術を持っていました。

関係図

また摂関家との付き合いについても、清盛は長けていました。関白である近衛基実(このえもとざね)に娘の盛子(もりこ)を嫁がせています。

一方、後白河上皇と平滋子(しげこ)の間に憲仁(のりひと)親王が生まれます。清盛の義弟である平時忠(ときただ)や異母弟の教盛(のりもり)が立太子を画策しました。しかし清盛はそれに同調せず、二条天皇を支持。
二条天皇は時忠や教盛たちを解官して後白河院政を停止しました。
時忠といえば、「平氏にあらずんば人にあらず」のセリフを言った人物でしたね。彼はのちに二条天皇を賀茂社で呪詛した罪で配流されてしまいます。

  • 二条天皇
  • 二条天皇
  • 父である後白河上皇との対立は生涯に渡って解消されることはありませんでした

後白河上皇のご機嫌をとろう

院政を停止させられて後白河上皇の機嫌が良いわけはありません。 やり場のない気持ちは上皇を信仰の世界にどっぷりのめり込ませてしまいます。特に千手観音への信奉は篤く、上皇は住まいである法住寺殿の一画に寺院建立を試みました。清盛はそんな上皇にも手を差し伸べます。

清盛が47歳の長寛2年(1164年)、清盛の手によりその寺院は完成しました。蓮華王院(れんげおういん)、いわゆる三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)です。

  • 千手観音
  • 千手観音像
  • 本尊の千手観音像の左右には長大な階段状の仏壇があり、さらに1,000体の千手観音立像が各10段50列に及んで並ぶ様子は壮観です

横に長いお堂は和様の入母屋、本瓦葺きの「総檜造」で約120m。正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と呼ばれています。
三十三間堂や新熊野神社には荘園が寄進され、後白河上皇の経済基盤は強化されるのでした。

三十三間堂


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  • 三十三間堂
  • 住所 京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
  • 電話 075-561-0467
  • 開門時間 8時~16時半受付
    11/16~3月は9時~16時
  • 拝観料 大人600円、中高生400円、小学生以下300円
  • 交通 京阪本線七条駅 徒歩3分


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