清盛が築いた広大な邸宅

若一神社/京都府京都市

カネを持つと別荘が欲しくなるんです

出世街道をひた走る清盛。音戸の瀬戸を切り拓いて日宋貿易にも力が入ります。そうなればカネまわりも良くなって、つい散財したくなるというものですね…

そこで思いついたのが別荘。清盛は京都東山の六波羅に住居を構えていましたが、「浅水の森」と呼ばれる場所がお気に入り。そこは水源が豊かで大木が立ち並ぶ地で別荘にするのにピッタリだったのです。場所は八条大宮あたり。今では梅小路と呼ばれるエリアで、京都水族館がありますね。

仁安元年(1166年)清盛が49歳のときに、別荘は完成しました。西八条殿と呼ばれ、それはもう広大なもので、敷地には五十余の屋敷が立ち並んでいたそうです。

その西八条殿の鎮守社として建てられたと伝えられているのが若一神社(にゃくいちじんじゃ)です。

若一神社

この神社にもいわくがありまして。
清盛が熊野詣を行った際「土の中にご神体が埋まっているので掘り起こして奉りなさい」とのお告げがあり、帰京ののち邸内を探してみれば、夜なのに築山がピカピカ光っているではありませんか。清盛大喜びで掘り返せばやはりご神体がそこに。そのご神体を奉ったのがこの「若一神社」なのだそうです。

しかし、清盛が地面を掘ると大抵何か出てきますね。六条河原でも地蔵が出てきましたし。
神社の境内入口の近くには西八条殿の跡を示す碑が立っています。

西八条殿跡碑

若一神社に残る清盛のゆかり

神社には清盛のゆかりが多く残されています。
なんといっても一番目立つのは大きなクスノキです。

大楠

樹齢800年を超す大樹で、出世に感謝した清盛が手植えしたもので、若一神社の御神木となっています。樹の下には「楠社」が建てられ大楠を祀っています。
ちなみにこの大楠、切り倒したり移植しようとすると、必ず崇りがあったそうです。昭和の初めのころ、市電工事の際に移そうとした工事関係者にも事故や不幸が襲いかかり、移植を諦めたのだとか。それゆえに南北に通る西大路通は若一神社の前の部分だけ大楠を避けるように微妙に歪曲しているのです。

さらに境内には清盛の像が立ってますね。

清盛像

清盛が高熱の病に倒れた際、この水で体を冷やしたと伝えられる神供水もあります。

  • 神供水
  • 神供水
  • 古くから銘水として知られる地下水です。運が開けるご利益つきで、今でも水汲みに来る人が多くいます

ほかにも、清盛から寵愛を受けた妓王の歌碑があり「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」と記されています。
妓王についてはまた詳しく別のページで登場します。

妓王歌碑


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  • 若一神社
  • 住所 京都府下京区七条御所ノ内本町98
  • 電話 075-313-8928
  • 開門時間 24時間
  • 拝観料 無料
  • 交通 JR京都線西大路駅 徒歩5分


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