清盛と後白河法皇のキューピッド

三島神社/京都府京都市

後白河と滋子の子宝神社

これまで多くの事件や政変が発生しましたが、清盛はその荒波をくぐり抜けてきました。清盛が潰されなかったのには、本人の才覚と好運もあるでしょうが、やはり味方の人物のチカラが大きく影響していたのではないでしょうか。

清盛の妻「時子」の姉妹であり、後白河法皇の妃でもある平滋子(たいらのしげこ)こそがその人物のひとりです。

系図

滋子が後白河法皇の妃になった頃に時代は戻ります。
滋子は時子と清盛の思惑で入内となりました。実は滋子はかなりの美貌の持ち主。遊び人の名を欲しいままにした後白河(当時は上皇)でしたが、すぐに滋子にべったりになります。
滋子の身分が低いため女御にはなれませんでしたが、後白河上皇の寵愛は大変なものだったそうです。

ところが寵愛の深さとは裏腹になかなか子供に恵まれません。こうなれば神頼みだと摂津国の三島鴨神社(大阪府高槻市)に祈願します。
その甲斐あってか応保元年(1161年)男の子が無事生まれました。

喜んだ後白河上皇は重盛に命じて三島鴨神社を京都に勧請します。
三島神社と名付けられ、今でもマンションの横にこじんまりした祠が残っていますが、当時は広い敷地を所有していたそうです。

三島神社

それ以来、この神社は安産、子宝、子授け、夫婦和合のご利益があるといわれています。
ちなみにここのご祭神である大山祇大神のお使いは「うなぎ」です。それゆえ願掛けをするなら、成就するまでうなぎを食べることはできません。氏子に至っては一生うなぎを食べられなかったそうです。今はそうではないようですが。

祠のすぐ横には揺向石(ようこうせき)と呼ばれる岩が祀られています。

揺向石

揺向石にも逸話があります。
承安4年(1174年)のことです。源義経、若き日の牛若丸は奥州へ行くか行くまいか判断に迷っていました。義経は三島神社を参詣し、その夜夢を見ます。それは三島神社の夢でした。夢の中で白髪の老人が現われ、奥州行きを勧めるのです。

夢から覚めた義経が再度神社へ足を運んで見てみると、老人が立っていた場所には岩がありました。その岩こそ揺向石です。
それ以降、安産や子宝を願う人が訪れてはお腹をさすりながら揺向石を触るといいます。牛若丸のような丈夫な子に恵まれるのだとか。

  • 瀧尾神社境内の三島神社
  • 瀧尾神社境内の三島神社
  • かつて広い社地があった三島神社ですが土地を手放したため、近くの瀧尾神社(たきおじんじゃ)に本殿を遷座しています。毎年10月26日に、鰻祭(鰻放生大祭)が行われています

清盛と後白河法皇の上手なつなぎ役

後白河上皇と滋子の間に生まれた子、憲仁(のりひと)親王はすくすく育ちわずか8歳で即位します。高倉天皇です。当然まだ子供なので実際の政務は後白河上皇が執ります。

その間にも滋子は着々と基盤を固めます。従三位に位が上がり、それまで身分が低くてなれなかった女御にもなってしまいます。
嘉応元年(1169年)には建春門院(けんしゅんもんいん)の院号を賜り、出家して法皇となった後白河とラブラブ三昧。

しかし建春門院はただラブラブしてたわけではありません。清盛の娘の徳子(とくこ)を平家の繁栄のために役立てねば! というわけで、息子である高倉天皇に徳子を嫁がせます
身分的には妃を出せる家柄でない平家ですが、後白河法皇の子(養子)とすることで嫁入りにこぎつけます。これも異例中の異例のことで、滋子の働きがあったからこそ実現できたもの。徳子の裳着(もぎ)と呼ばれる成人式の腰結(こしゆい)役(世話人)も建春門院が引き受けています。

その後も後白河法皇と建春門院はラブラブのまま、清盛に福原や厳島神社に招かれ、仲良く応じるのでした。

源平盛衰記図会

建春門院の死

安元2年(1176年)、清盛59歳のときです。後白河法皇の50歳の祝いが法住寺殿で盛大に実施されました。
後白河法皇、建春門院、高倉天皇、徳子、後白河の姉である上西門院(じょうさいもんいん)、清盛をはじめとした平家一門、公卿が勢揃いしたこの式典は平氏の繁栄の最絶頂となってしまいます。

祝典のあとはフルムーン旅行。後白河法皇と建春門院は神戸の有馬温泉へ向かいます。
ちなみに有馬温泉の温泉寺には清盛の石塔があります。ただ、清盛が有馬を訪問した記録はありません。

ラブラブの有馬旅行から戻った建春門院ですが、なぜか突如、病に倒れてしまいます。腫れものがひどくなり、枕も上がらぬ状態に。
あげくに看病の甲斐もなくわずか1カ月後、35歳の若さで亡くなってしまうのでした。

建春門院の死は、清盛と後白河法皇の蜜月にこれから大きなヒビを入れることになってしまうのです。



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  • 三島神社
  • 住所 京都府京都市東山区上馬町535
  • 電話 075-531-5012
  • 開門時間 24時間
  • 拝観料 無料
  • 交通 京阪本線清水五条駅 徒歩15分
    JR京都線、琵琶湖線、奈良線、嵯峨野線京都駅中央出口 市バス10分馬町下車 徒歩5分


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  • 昭和13年(1938年)に屋台で創業、昭和22年(1947年)からは店舗を構えて営業している京都で最初にできたラーメン店。真っ黒なスープの中に中太ストレート麺という一見京都らしからぬスタイルですが、醤油ベースのわりとあっさりとしたスープで、オーソドックスな中華そばなのです。昔ながらの中華そば本来の味が楽しめます。


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