清盛生誕地は平氏発祥の地

忠盛塚/三重県津市

平家のおこり

平氏には4つの系統があります。そのうち天長2年(825年)以降に桓武天皇の孫たちのうち身分の低い者が「平朝臣」を賜姓されて臣籍に下ることによって成立したのが「桓武平氏」。その流れをくんだ伊勢平氏である平正盛(たいらのまさもり・清盛の祖父)の系統(六波羅流・六波羅家)は特に「平家」と呼ばれます。
平氏はもともと関東地方を根拠地としていました。承平5年(935年)に発生した「平将門(たいらのまさかど)の乱」ののちに、将門を討った平貞盛(たいらのさだもり)らが伊勢国に移り住み、その子である維衡(これひら)も伊勢守に任じられるなどして、貞盛→維衡→正度(まさのり)が伊勢国に定着。これが「伊勢平氏」の起こりです。

正度のひ孫である平忠盛(たいらのただもり)は検非違使や伯耆、越前、備前、播磨の国守、追捕使(ついぶし)などでの活躍が認められ、武士の中で初めて院の昇殿を許されることとなります。

平氏系図

忠盛が生まれた地

忠盛の活躍は目覚ましいものでした。しかし、貴族にとっては、地方の武士が殿上人の仲間入りをするのは我慢できません。
「平家物語」でよく知られている「伊勢平氏はすがめなりけり」の文言。鳥羽上皇の前で忠盛が舞を披露した際、忠盛が斜視(すがめ)だったことから、公卿たちに伊勢の特産品「酢瓶(すがめ)の瓶子(=平氏)」とからかわれます。しかし忠盛は見事な舞踏を演じて、逆に称賛を受けるのでした。
武士としての力や経済力だけでなく、和歌など宮廷の教養も身につけることで、忠盛は宮廷における平氏の地位を高めたのです。

平忠盛

忠盛が生まれたのは三重県津市。その西部に生誕地を示す碑があります。小さな丘のような塚は正式には「平氏発祥伝説地」と命名されていますが、通称は「忠盛塚」。「胞衣塚(えなづか)」ともいいます。

  • 忠盛塚
  • 忠盛塚
  • 長谷山へのハイキングコースの中間地点にあり、塚を中心にして公園になっています

胞衣とは、母体の中で胎児を包んでいた膜や胎盤のこと。胞衣を壺に納めて埋めることで嬰児の成長を願う風習により、この地に忠盛の胞衣を埋設したものです。

  • 産湯池
  • 産湯池
  • 忠盛が産湯を使ったとされる池もすぐそばにあります

忠盛の子である清盛もまたこの地で生まれたとされていますが、確証は残っていません。さらに忠盛の実子なのかどうかも定かではないという話まであります。清盛のナゾは生誕の時から既に発露していました。
気になるその話は、舞台を京都に移して展開します。



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  • 忠盛塚
  • 住所 三重県津市産品
  • 電話 059-229-3170 (津市観光振興課)
  • 開門時間 見学自由
  • 入場料 無料
  • 交通 近鉄名古屋線津新町駅から三重交通バス10分、忠盛塚下車徒歩すぐ


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