源平合戦編 義仲、一発大逆転!

横田城跡/長野県長野市

市原合戦

墨俣川の戦いで勝利を治めた平家軍でしたが、一方、長野でも争いが起きていました。
前年(治承4年(1180年))、平家に味方していた信濃の豪族である笠原頼直(かさはらよりなお)が、源氏軍である木曽の源義仲(木曽義仲)を倒そうと進攻をはじめます。その動きを察知した同じ信濃の村山義直(むらやまよしなお)と栗田寺の範覚(はんかく)別当が、進攻を防ぐために立ちはだかりました。

場所は現在の長野市市原。その名をとって市原合戦と呼ばれています。下の地図で黄緑のピンの位置が、合戦のおおよその場所だと推測されています。

合戦は五分五分の戦いでなかなか決着がつかず、村山義直は援軍を義仲に求めました。こうして義仲が初めて挙兵することになり、すぐに村山と合流。不利を悟った笠原頼直の軍勢は退却し、越後の武将城長茂(じょうながもち・助職、資職(すけもと))のもとへ逃げ込んだのです。

横田河原の戦い

年が改まって治承5年(1181年)6月、城長茂の軍が行動を開始します。信濃に入り、横田城(よこたじょう)に陣を張りました。(次に登場する地図の赤ピンの位置が横田城)

  横田城跡

横田城は平安末期に築城されましたが、今では城郭は残っておらず、集落(環濠集落)になっています。集落の中心には城跡であることを示す看板が立つのみです。

  横田城跡

横田城に陣を張る城長茂の軍に対し、源義仲の軍勢もまた北上。横田城とは目と鼻の先にある千曲川(ちくまがわ)にある雨宮の渡し(あめみやのわたし)に辿りつきました。(下地図の紫ピンの位置)
ちなみに当時の千曲川は現在地よりも800mほど南を流れていたのです。

この地、横田河原において両軍は激突するわけですが、兵力には大きな差がありました。平家側である城長茂の軍は9,000の兵。しかし源氏側の義仲の軍はその3分の1、わずか3,000しか兵を率いていなかったのです。

義仲にとっては圧倒的不利な状況下。正攻法では負けてしまいます。そこで義仲軍は奇策に打って出ました。
3,000の騎兵を7つの隊に分け、彼らに赤い旗を持たせたのです。実は赤い旗は平家軍の色旗。そして城長茂の軍の背後などに廻り込み四方八方から近寄って行きます。

遠くからどんどん近付いてくる赤い旗を持った軍勢に、城長茂の軍勢は勢いづきます。
「ほかにもまだ味方がいた! これだけの兵力があれば完勝間違いなし!」
はい、大間違いでした

やってきた味方は敵軍。騙されたと気づいた時にはすでに遅し。もしや、ほかにもまだまだ敵が隠れているに違いないとすっかり狼狽した城長茂の軍勢は9,000もの兵力を抱えながら、総崩れになってしまいました。
城長茂自身も命からがら逃げ出して、なんとか越後まで辿りつき、結局、奥州会津まで撤退。
勝者となった義仲は越後までを支配下に治めたことになります。

画像引用:財団法人ながの観光コンベンションビューロー様
(http://www.nagano-cvb.or.jp/)



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  • 横田城跡
  • 住所 長野県長野市篠ノ井会185
  • 電話 026-226-4911(長野市観光振興課)
  • 開門時間 24時間
  • 拝観料 無料
  • 交通 JR信越本線、篠ノ井線、しなの鉄道しなの鉄道線篠ノ井駅下車 徒歩15分


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