源平合戦編 リベンジしてやりました

燧ヶ城跡/福井県南越前町

養和の北陸出兵

後白河法皇が清盛の息子である重盛の死と同時に重盛配下だった加賀国を取り上げてしまったことを、覚えていますか?
当時の加賀国の国司は清盛の弟の子、つまり甥にあたる平通盛(みちもり)だったのですが、当然解任されてしまいます。
法皇の処置に怒り狂った清盛によって、法皇は幽閉され、再び通盛は国司に返り咲き、平穏が戻ったかのように見えたのですが…

木曽義仲が横田河原の戦いで平家側の城長茂の軍をみごとに破り、越後を支配下に置くと、近接する北陸はにわかに色めき立ちました。
北陸といえば今でも変わらぬ米どころ。当時、平家もやはり北陸の豊かな土地の恩恵を受けており、いわば平家財政の要を担う土地だったわけです。

そんな重要な土地で反乱が起きてはたまりません。養和元年(1181年)8月平家軍は通盛を大将に、北陸へ出兵します。
そのころには北陸の反乱のくすぶりは加賀から越前へと飛び火していました。

  • 平通盛
  • 平通盛
  • 清盛の異母弟である教盛の子。平家の繁栄を受け、順調に出世しますが、最後は一ノ谷の戦いで討たれてしまいます。間際にはともに戦った者に「汝は命を捨つべからず。いかにもして長らへて、御行方をも尋ね参らせよ」と妻への伝言を託して亡くなりました。

越前入りした通盛ですが、状況は思った以上によろしくないようで、住人はもはや反平家側に。従うそぶりすら見せない彼らに手を焼いた通盛は、京の都へ「みんな言うこと聞いてくれません~」と泣きごとの手紙を送るありさまでした。

それでも一時は武生あたりまで進軍したのですが、じわじわ押し戻されて、水津の戦い(すいづ・福井県敦賀市杉津)では負け戦。結局敦賀城(津留賀城)までの退却を余儀なくされてしまったのです。
水津は下地図の黄緑のピンのあたり。現在では杉津と表記しますが、読みは同じ「すいづ」です。

養和の飢饉

負けてしまった通盛。挙句に敦賀城からも退却し、京の都で再びリベンジを誓うのですが、実は都ではそれどころではありませんでした。

前年の不作がモロに影響して、大飢饉が発生していたのです。世に言う養和の飢饉で、京だけでも42,300人が餓死し、死体が処理されず町中に放置され、異臭を放っていたと「方丈記」で鴨長明は伝えています。

  • 方丈記
  • 方丈記
  • 鴨長明が記した随筆で、無常観の文学と評されています。移り行くもののはかなさと無常を流麗に語る文章は秀逸で、「枕草子」「徒然草」と並ぶ三大随筆のひとつに挙げられます
    冒頭の「 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」は学校でも習いますね

また、平家は即位した安徳天皇の最初の新嘗祭(収穫を祝い、神に捧げる儀式)である大嘗祭(おおにえのまつり・だいじょうさい)のことで頭が一杯だったのです。

戦略よりも宮廷行事を優先する平家はもはや、武士というより貴族だったのかもしれません。

燧ヶ城の戦い

翌年の養和2年(1182年)になっても、飢饉の影響は強く、出兵できる状況ではありません。
さらに年が明けて、寿永2年(1183年)、ようやく新たな動きがはじまります。4月、清盛の孫にあたる平維盛(これもり)を総大将とする追討軍が結成され、通盛もまた同行します。富士川の戦いではみっともない姿を見せた維盛と、水津の戦いで負けてしまった通盛のペア。果たして大丈夫なのでしょうか?

向かった先は前回と同じく越前。反乱軍6,000人は狭い盆地の中にある山城の燧ヶ城(火打城・ひうちがじょう)にいました。平家軍はなんと10万もの大軍。城に攻め入ることができれば、勝ちも同然です。

ところが敵もさるもので、近くを流れる川を堰き止めて盆地を全部水没させてしまってたのです。いわば湖を作り出したわけですね。
その湖の真ん中にぽこっと浮いているかのように山城の城郭。燧ヶ城は大きな水濠に囲まれた水城になっていました。

今でもJR今庄駅から南へ歩いたところにある丘の上には燧ヶ城跡碑と土塁が残っています。

  燧ヶ城跡

城に近づきたくとも湖のような濠が邪魔で、平家軍は手が出ません。援軍は続々とやって来るのですが、城を目前にして湖で足止めが続きます。
またも越前で負け戦をしてしまうのか…と思いきや、どんでん返しが待っていました。

反乱軍の一味である斉明(さいめい)という僧侶が寝返ったのです。
斉明は山を廻り込み、「湖は人造であり、堰を壊せば水が引く」と書いた手紙を平家軍の陣地に矢を射って届けます。
手紙を読んだ維盛は大喜び。兵に命じて堰を探して壊してみれば、まさにそのとおりで、みるみる水が引いて行きました。

一気に攻め入る平家軍。圧倒的な兵力差で勝負アリ、でした。反乱軍は城を捨て、北へ後退していきます。リベンジは成功。

さらに後を追い、どんどん北進する平家軍でしたが、この北上が凶と出るとは、維盛も通盛もこのときにはまだ知る由もありませんでした。

画像引用:思い出のメモ様 (http://blog.goo.ne.jp/y-terumi10032002)
林原美術館様(http://www.hayashibara-museumofart.jp/)



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  • 燧ヶ城城跡
  • 住所 福井県南越前町今庄
  • 電話 0778-45-0074(今庄観光協会)
  • 開門時間 24時間
  • 拝観料 無料
  • 交通 JR北陸本線今庄駅下車 徒歩15分


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