源平合戦編 木曽義仲の逆境

源平合戦水島古戦場の碑/岡山県倉敷市

都で不評の木曽義仲

身を隠していた比叡山から都へ戻った後白河法皇は早速平氏追討の宣旨を下しました。同時に宮中のあらゆる役職から平氏を外し、側近を要職に抜擢します。また木曽義仲も都の治安維持の務を任されました。

後白河法皇は平家によって持ち去られた神器の返還を求めますが、平家が「はい、そうですか」と応じるわけもなく、こうなれば、と平家とともに都を捨てた安徳天皇に代わる天皇を模索。
3年前に崩御した高倉上皇にはほかにも男子がいたので、そのうちの尊成親王(たかひら、たかなり)を推しますが、そこへ突如木曽義仲が介入してきます。

義仲いわく、平家の横暴さえなければ本来は以仁王が即位していたのであり、以仁王亡き今はその子である北陸宮(ほくろくのみや)こそが本来の皇統である、と。
そんな義仲の主張を後白河法皇はガン無視。それもそのはずで、即位すらしていない王の子の皇位が天皇直系の子に優先するわけがありません。田舎の武士が皇位継承に口を挟むなど言語道断というわけです。
結果、尊成親王が即位します。

  • 後鳥羽天皇
  • 後鳥羽天皇
  • 尊成親王は即位して後鳥羽天皇となります。ただ、神器は安徳天皇とともに平家が持ち去っていたため、神器がない状況での即位となりました。安徳天皇が退位しないまま後鳥羽天皇が即位したため、在位期間が2年ほど重なっているのも特異

義仲に任じられた都の治安維持ですが、こちらのほうもさっぱり。養和の飢饉などが続いたあとに義仲率いる大量の軍勢が都入りしたわけですから、食糧が絶対的に足りず、義仲軍による略奪行為が横行していたのです。
どんどん悪化する都の治安に後白河法皇は呆れてしまい、義仲を都に滞留させていてはいかんと思ったのでしょう、平氏追討の任務を命じました。

すっかり落ちてしまった後白河法皇からの信任回復のためには任を断るわけにいかず、義仲は軍勢を引き連れて西征を開始します。

源頼朝の復活

義仲が都を出発するのと入れ替わりに東国の源頼朝からの報が後白河法皇の耳に届きました。頼朝はそのころには東国一帯を支配するまでに成長しており、朝廷は東国からの年貢が滞っていることを危惧していました。
その報告とは平家に支配されていた所領を元来の持ち主に返しましたとのもので、朝廷は喜び、平家に反発して謀反人の立場だった頼朝はここで大いに名誉を回復します。今や逆賊は平家なのでした。

寿永2年(1183年)10月、朝廷は年貢の納入確約を取り付ける代わりに頼朝の東国支配を公に認める内容の寿永二年十月宣旨(じゅえいにねんじゅうがつのせんじ)を頼朝に下しました。ここに鎌倉幕府として一時代を作る鎌倉政権が公認されたわけです。

水島の戦い

一方、先に都落ちしていた平家一門は一旦、九州(鎮西)に上陸しますが、豪族の協力を得ることができず、再度東へ戻り、瀬戸内の水軍を味方にして香川県屋島(やしま)を拠点にしていました。
平氏討伐の命を受けた木曽義仲軍は屋島を目指しますが、その手前の水島(みずしま・岡山県倉敷市)で交戦となります。

上の地図上で黄色ピンが義仲軍、青色ピンが迎え撃つ平氏軍の陣地になります。現在では埋め立てが進み、川を挟んでいる恰好になっていますが、当時は周囲が海で、黄色ピンの義仲軍は乙島、青色ピンの兵士軍は柏島にそれぞれ陣取っていました。
乙島の義仲軍陣跡には碑が建てられています。

源平合戦水島合戦城跡碑

そして開戦。ところが山の中での戦闘ばかりだった義仲軍、充分海に慣れている平氏軍に全然敵いません。海上戦では揺れる船上で立つのですらやっとのありさまでした。
おまけに戦闘中に発生した日食に驚いてしまい、戦意喪失してしまう始末。義仲軍には全くいいところがありません。平家は日食のことを知っていたので、ひるむ義仲軍へお構いなしに切り込んでいきます。

結局平氏の勝利で戦闘は終結しました。平氏軍の陣跡にも立派な碑が立っています。碑の上部にある黒丸は日食を表現しているのだそうです。

源平合戦水島古戦場の碑

水島の戦いから10日ほど経ったころ、岡山市北区津島あたりで義仲軍に捕えられつつ、機会を窺い反旗を翻した平家の家臣妹尾兼康(せのおかねやす)による戦闘が発生しますが(福隆寺縄手の戦い)、討ち取られています。

平家は水島の戦いの勝利で勢いづき、屋島から福原へとさらに東上していきます。
そして負けた義仲は頼朝が弟の義経率いる軍を今日の都に向けて派遣したという報を耳にして、これはいかんと都へ舞い戻りました。後白河法皇と頼朝が手を結び、自分を殺害しようとしているのではないかと危ぶんだのです。

義仲は迫り来る頼朝軍の上洛と寿永二年十月宣旨について後白河法皇に苦情を申し立てますが、相手にされません。逆に今すぐ平氏追討のため西国に戻れと言われる始末。
頼朝軍が上洛しないなら西国へ下るが、上洛するなら頼朝軍と戦わざるを得ないと返事をした義仲の敵は、既に平氏ではなく同じ源氏の頼朝になっていたのでした。

画像引用:倉敷市観光情報発信協議会様(http://www.kurashiki-tabi.jp/)
社団法人 岡山県観光連盟様 (http://www.okayama-kanko.jp/)



  • より大きな地図で 源平合戦水島古戦場の碑 を表示
  • 源平合戦水島古戦場の碑
  • 住所 岡山県倉敷市玉島柏島
  • 電話 086-522-8114
    (倉敷市玉島支所産業課)
  • 開門時間 24時間
  • 拝観料 ー
  • 交通 JR山陽新幹線・山陽本線新倉敷駅から車で15分


  • 現地の風情をお取り寄せで愉しむ

  • 倉敷味工房の塩ぽんず
  • 古来、塩田の栄えた瀬戸内の海塩をベースにしたポン酢。自然の風味と酸味に優れた高知産のゆず果汁、徳島産のすだち果汁をたっぷりと使用して、さらにカツオと昆布の旨味を効かせています。まろやかな塩味とさわやかな果汁の酸味が、料理の味を引き立てる新しいタイプの調味料です。


  • 時代順に見る

→ページトップへもどる

お問い合わせ・サイトのご利用条件・プライバシーポリシー・本サイトに掲載している写真について
Copyright(c)2012 平清盛ゆかりの地を訪ねる All Rights Reserved