清盛、妓王の願いを叶える

妓王寺/滋賀県野洲市

白拍子の名手「妓王」

清盛が着々と日宋貿易や経ヶ島の造営などを行っている頃のことです。当時の芸能で白拍子(しらびょうし)と呼ばれる舞の名手に妓王(ぎおう)という女性がいました。

白拍子は巫女による巫女舞が原点とされていて、布教行脚の際に舞われた巫女舞は時代とともに芸能面が強化された遊女へと変化しました。のちには遊女が男装して舞い、その舞と舞者を白拍子と呼ぶようになったのです。

  • 白拍子
  • 白拍子
  • 「平家物語」には、鳥羽上皇の時代に島の千歳(せんざい)と和歌の前の二人で舞ったのが白拍子のはじまりだと書かれています。左絵は白拍子を舞う静御前(源義経の妾)

妓王は滋賀県野洲市あたりの生まれとされ、平家の家人であった江部九郎時久の娘(橘次郎時長の娘という説も)。父を保元の乱で亡くし、母の刀自(とじ)は、妓王とその妹を連れて京の都に上がり、娘二人は白拍子になります。

妓王寺

妓王生誕の地には妓王を弔うために建てられた妓王寺(ぎおうじ)があります。境内には供養塔が残り、妓王寺の近所には妓王と妹の妓女(ぎじょ)の屋敷跡の碑も。

  • 妓王・妓女屋敷跡碑
  • 妓王・妓女屋敷跡碑(野洲市)
  • ここ滋賀県野洲市の碑のほかにも、福井県福井市三郎丸町の西藤島公民館前にも「妓王・妓女屋敷跡碑」があります。小さな石の祠の隣には、京都の若一神社にもある碑と同じ和歌の碑が佇んでいます。

さて、京で白拍子となった妓王ですが、その舞の上手さは評判を呼びます。ついには清盛にその美しい容貌を見初められて、清盛の庇護を受けることになりました。要は囲われたわけです。それとともに妹の祗女も有名となり、毎月百石百貫の手当もあって、金銭的には満ち足りた何不自由のない生活を送ります。

妓王の願いを叶える清盛

ある日のこと、清盛が妓王に尋ねました。
「何か望みはあるか?」
妓王は次のように答えます。
「ふるさとの村が水不足で苦労しているので、水路を引いてほしい

もちろん公共工事ならお手の物の清盛ですから、軽くOK。早速、野洲川から取水し琵琶湖までを繋ぐ三里(12km)の水路建設工事に取り掛かります。

ところが工事は難航。掘削が頓挫してしまいました。
するとそこへ一人の子供が現れて、水路のルートを変更すれば上手くいくと突然言い放ち、姿を掻き消してしまいます。しかも子供のたわごとに従う素直(?)な住民。
ところが子供の言葉どおり、工事はなんと一晩で終わってしまったのだとか。清盛が絡む公共工事は不思議なことの連続ですね。

妓王寺川

水路により水不足は解消し、この近辺は近江を代表する米どころとなりました。承安3年(1173年)清盛が56歳のときのことでした。
この水路は妓王井川(ぎおいがわ)と呼ばれ、現在も農業用水として使われています。

  • 妓王井川碑
  • 妓王井川碑
  • 県立野洲高校から250mほど南西にあります


画像引用:野洲市観光物産協会様
(http://homepage3.nifty.com/ohmifuji/)
野洲市様(http://www.city.yasu.lg.jp)



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  • 妓王寺
  • 住所 滋賀県野洲市中北90
  • 電話 077-587-3710(野洲市観光物産協会)
  • 開門時間 9時~16時半
  • 拝観料 200円(志納)
  • 交通 JR琵琶湖線野洲駅北口から近江鉄道バス木部循環行10分 江部下車 徒歩7分


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  • 鮒ずし
  • フナを用いて作られるなれずしで、主に琵琶湖の固有種であるニゴロブナが使用されます。その製造は気の遠くなる時間が必要。
    まずニゴロブナのウロコとエラを取り、腹開きにして卵巣以外の内臓を除きます。中に塩を詰めたフナを桶に詰めこんで冷暗所に3か月ほど保管。その後フナを取り出して水で良く洗い、今度は米飯に塩を混ぜた物を身の中に詰めます。さらに桶の中にフナだけでなく米飯も交互に敷き詰め再び保管します。その期間は短くて半年、場合によっては2年程度保管するそうです。
    発酵により乳酸の酸味と香りが強くなり、特に卵の部分はチーズのような香りと食感がします。そのままスライスして酒の肴にしたり、お茶漬けにして食べるとオツなものです。


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